2005-11-14

1945年10 月25日

19454 3日, 文賓伯慢慢說起那場嘉義大空襲事件。中午十二時左右,灶火還熱著,許多人手捧著碗,菜夾道嘴邊,美軍駕著轟隆隆的米格戰機從空中掃過,一顆一顆長頭砲彈瞬 間從空中散落,刺鼻硫磺粉末很快地捲起漫天豔黃的火焰,當時總督府每戶配給五口糧食,嘉義地方就有二萬戶、約十萬人口,那天中午日軍的廣播電台只簡單說明 美軍轟炸嘉義的消息。那場大火卻整整延燒了一週以上。

1945
1025日,樂生院內開始有人傳播,日本政府宣布投降,院內許多護士醫生人人心中忐忑。不久之後都被遣送回去日本。桂英姨無助沮喪緊張不安略為喘息急促微弱的慢慢想起六十年前塵封的那段往事。一個小女孩拿著一封信、獨自搭上歸鄉的火車。

七歲時吧!父親還願意培養我的。我喜歡上學,那時剛上小學,剛學平假名片假名,不知唸了多久的書,一天在學校檢查就被老師通報衛生所,然後就被抓到樂生。那時我真的很小,什麼都不知道,空空的、懵懵懂懂就離開父親母親。13歲日本政府回去時,我想回去家裏,請個長輩幫忙寫好信,一天夜裡,就摸黑走了好長的路,慢慢走到火車頭,搭上火車,希望可以回家。火車到了新竹,我再沿途邊走邊問路,因為離家時的年幼,家與家人只在隱隱約約模糊的印象裏,這一路我找了好久。

找到了父親了,當時後母已經新生幾個弟妹。似乎並不歡迎我回去然後要父親做決擇,說看是要顧活的還是死的(言下之意是我是死人谷走出來的人..)。父親要我回到樂生去吧!還是回到那裡對大家都好。那裏才真正適合我們這種人住的地方。最後桂英姨在淡淡的嘆息裡加上一句,如過上川豐院長知道那時我的情況,還有今天這樣被新院長趕來趕去,拆掉我們的房子,又要逼我們到新大樓,應該也會為我掉眼淚吧!

六十年後10月25日,日本法庭宣判樂生勝訴,短暫的欣慰,在11月8日日本政府還是決定上訴,這些老院民的失望煎熬,那天晚上我在院內陪著桂英姨、文賓伯談起塵封許久的陳年往事,觸動著他們六十幾載前的記憶。

2005-11-08

ここが我が家 残したい

2005年10月26日 読売新聞)
毎朝不自由な手でほうきとちりとりを持って、自分の部屋を掃除する林却さん(85)。林却さんが楽生療養院に来て65年、彼女にとってここが「家」となった
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緑に囲まれた現在の楽生療養院。日本統治下に建てられた旧居住区にある病棟の中庭は入所者の憩いの場である。彼らの願いは、もはやふるさとになったここで最期まで暮らしたいということだ

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地下鉄整備工場の工事(下)が進む中、保存が求められている楽生療養院(上)。転居をせまられ、8階建ての新居住棟(左上)へ移転した元患者もいる

台湾のハンセン病療養所

 台湾のハンセン病療養所「楽生療養院」に収容されて62年になる男性(72)は「ここが我が家です。移りたくない」という。「私たちのついのすみかを残してほしい。次世代に私たちの歩んできた歴史を伝えていくためにも」

 日本統治下の1930年、「楽生院」として開設されたこの施設の入所者の平均年齢は75歳。強制隔離政策による差別・偏見に耐えながら、多くの入所者は、静かに暮らしてきた。

 ところが、台湾行政院(内閣に相当)は、事前に十分な説明のないまま、全入所者を8階建ての新居住棟に移転させる計画を打ち出した。地下鉄の整備工場の建設や医療の集約化が名目で、工事は急ピッチで進み、すでに7月末には一部の転居が始まった。

  入所者の反対もあり、台湾の立法委員(国会議員)らの働きかけで、転居は自由意思、強制移転はしないことになった。だが、今住んでいる所は補修せ ず、一時的に仮設住宅に住む人もいる。また、当局による楽生院の保存と地下鉄の両立をめざす代替案の策定はいまだに進んでいない。

 「以前は自分たちに人権があるとは考えてもいませんでした」。15歳で家族と別れ入所した陳再添さん(68)は自らが乗った収容列車にぶちまかれた白い消毒液、戦後の食糧難による飢餓、家に帰れない絶望で自ら命を絶った多くの入所者の姿が忘れられない。

 苦難の歴史が詰まった施設だが、「いまはここが故郷です。体を張ってでも自分たちの家を守ります」と言い切る。

 25日に東京地裁で、日本統治下に強制入所させられた台湾の元患者に対してハンセン病補償法に基づく補償が認められた。この判決を受け、台湾の弁護士らは近く、台湾当局に対して賠償請求訴訟をおこす予定だ。

 台湾でのハンセン病元患者たちの人権回復の闘いはなお続いていく。

カメラ・ペン 鷹見安浩(いずれも台湾・台北県新荘市で)


2005-11-04

大家一同手護樂生

樂生最新進展....我們一同監督..
文建會中部辦公室表示,希望大家一同加入文化資產守護網,如果樂生院在暫訂古蹟前遇到甚麼事情,馬上打電話通知,他們馬上會派專家到場,立即列暫訂古蹟:
林滿圓
0934150456
0492325898
0422809926


樂生的阿添伯說:怪手來的那天,阿公阿嬤已經說好,大家會騎著噗噗車,手拉著手.圍住這片家園.....
第一時間裡...阿公阿嬤..要靠自己手護這裡...慢慢等到...許許多多從台灣..從日本..從韓國..從世界各角落..前來保衛這裡...大家一起...手拉起手...不怕怪手....